幸運なことに、フィンランド北部ラップランドの森へ行くことができました。
ヘルシンキから国内線でイヴァロ空港へ。
そこから湖のほとりにある一軒宿へ。
翌日は車で30分のイナリの町を散策し、翌々日は朝から森へ!
遠くも近くも美しい。
色々な形の苔。
ふかふかした足元。言葉に尽くしがたい気持ちの良い空気。
森の時間は、元気をくれる特別な時間。
旧暦文月の満月となりました。
東京の空は、降ったり止んだり。
いかがお過ごしですか。
梨、葡萄、さつま芋と
実りの秋の味覚が届きます。
サマードレスはもうしまわないと・・・
来年のカレンダーも見かけるようになりました。
2017年の活動の実りをしっかりと
味わい、実感したい季節です。
イベントも充実しています。
屋上ガーデンでは、毎日唐辛子が豊作。
赤くなる前にせっせと収穫して料理しています。
パープルのトマトも収穫しました。
先日、採蜜された蜂蜜、
今回も良い香りと軽やかな風味です。
エディブルガーデン、幸せの素です。
スタッフ猫のさくや・ブロッサムは、今月10歳のバースデーです。
意思表現に工夫を重ね、
技を凝らして、希望を伝えてきます。
このカリカリより、あの煮干しとか。
外出禁止とか~
猫の方は、言葉がなくても
私の感じていることは共感共有しているようです。
人間て言わないとわからないんだから全く~と
思っているかもしれません。
言葉を話さなくても存在する万物に共感できる感覚、
時には、自然の中で取り戻したいと思います。
そんな身体感覚を目覚めさせ、活性化させる
ボディーワークが、身体感覚講座や鈴舞です。
鈴舞は、私がワークしますので、
ご興味がありましたら、お気軽にお声がけくださいね。
初秋の満月の晩、
月の力を味方に素敵な時をお過ごしください。
次の新月は、鈴の音はお休みをいただきます。
また、満月にお便りいたします。
オフィス銀の鈴 鈴木洋子
旧暦文月の新月を迎えました。
本来なら木陰が嬉しい季節なのに、
日向が貴重な日々が続いていますね。
いかがお過ごしですか。
今朝はラッシュの前の電車に乗って、
水を祀った神社へ。
美味しい水を汲んできました。
ビルの谷間に豊かな自然を感じて嬉しい気持ち。
その昔、銀の鈴の近くの愛宕山の麓に、
児盤水という霊泉が湧いていたという記録があるのですが、
今は場所もわかりません。
家から歩いて行けるところに、湧き水があったら、
それはとても豊かなことですね。
ヨーガの講座を開いてくださっている
国分寺にお住いの新開先生夫妻のように・・・
水への祈りは、ずっと絵を描く時のテーマにもなっています。
夏の1ヶ月、個展をさせてくださっている
Gallery Ushinも川越の川辺。
在廊日の帰り道には、川越氷川神社や鰻屋さんなど、
小江戸散歩を楽しんでいます。
水道の蛇口で水を飲んだり、
果ては、トイレに閉じこもったり。
流水音が好きなのでしょうか・・・
でも濡れるのは、猫並みに嫌いです。
旧暦文月は、早くも初秋です。
秋冬の充実したイベント、
是非スケジュールをチェックしてくださいね。
ボディーワークの鈴舞&岩茶席や
2時間半の音瞑想プレミアム・サントゥールなど
銀の鈴ならではのお楽しみです。
スケジュールを決める時、
月日は、手元のカレンダーにあると思いがちですが、
本当は、お月様とお日様は大いなる宇宙の中に。
人智を超えたタイミングで、
出会いが紡がれ、日々が彩られて行きます。
予定の記入されていないスケジュール表の空間、
これからどんな贈り物が、宇宙から来るのかなぁとワクワクします。
全部埋まると、ちょっとがっかり。
少しは未知のお楽しみを残しておきたいと思います。
天候不順な日々ですが、お身体大切に。
新月の力を味方に、素敵な時間をお過ごしください。
オフィス銀の鈴 鈴木洋子
今日の夜明け前、
旧暦閏水無月の満月となりました。
東京は、夏空が戻りましたね。
いかがお過ごしですか。
ここ数日は、岩茶を味わっています。
ちょうど一年前に訪ねた産地の武夷山を感じつつ。
光と霧と岩と植物。そして名人。
絶妙にブレンドされた自然のエッセンスです。
旅の恵みは、後々まで日常生活に活かされて行くようです。
嗜好品というよりは、必需品。
必要な知識や物がもたらされると感じます。
オフィス銀の鈴のHPに掲載している
7月のホピツアーの旅日記、やっと書き終わりました。
7編にもなってしまいしたが、
ご興味ありましたら、ご覧くださいね。
帰ってから丁度1ヶ月。
どの体験もその上に未来が重なって行くことを思うと、
9日間の旅の間に響いていた調べは、
今後の人生でも響きつづけるのでしょう。
時々、儀式の歌と太鼓が蘇ってきます。
地元新虎通りの方も、
趣向を凝らした旅するカフェやストアができ、
ワークショップを開いたりしているようです。
日曜日にオープンしている貴重なお店が出来て便利。
銀の鈴のイベントにも、遊びにいらしてくださいね。
コンサートやメイクレッスン、
ゆったり贅沢な時間になりそうです。
スタッフ猫のさくや・ブロッサムは、もうすぐ10歳。
近頃、富に丸くなり、看板猫に励んでいます。
使命感に燃えているようです。
屋上ガーデン園芸部の収穫祭にもしっかり参加。
私共々、お客様をお待ちしております。
立秋を過ぎたとはいえ、
夏休み気分いっぱいの季節。
月の力を味方に
素敵な日々をお過ごしください。
2017年 7/1~9日に参加したホピツアーの旅日記、その7です。
ここまでに書ききれなかった体験のいくつかをご紹介して、旅日記のまとめとなります。
この旅では、アムトラック(大陸横断鉄道)の寝台車を初体験しました。
ホピの居留地までの行程は、まず成田から空路でロスアンゼルスまで。
重厚な造りのユニオン駅
ロスアンゼルスのユニオン駅のアムトラック寝台席専用のラウンジで手続きして、
乗り込みます。
ラウンジには飲み物やスナックが。
ラウンジからホームまで、カートで送迎。
この制服のおじさんが、レストランの予約から寝台のセッティングまで面倒見てくれます。
車内にはラウンジ、レストラン、シャワー室などが完備され、
いつでも美味しいアメリカンコーヒーが飲めるようになっています。
車窓からの風景。可愛い駅。 アメリカらしいコンテナ。
レストランでは、ホピの女性と17歳の女の子の二人連れと同席でした。
ホピの少女はラダックの女の子と見間違うほど似た顔立ち。
私達が日本から着いたばかりと言うと目を丸くしていました。
彼女達は、アルバカーキまで行くそうです。
私達は、その手前のフラッグスタッフまで。夜明けに到着です。
レンタカーのオフィスが開くまで、
早朝のカフェで地元の方達と朝ごはん。
ロスやサンフランシスコと違う初めて触れる町の風景
ここから6日間は、ずっとレンタカーに乗って移動でした。
ドライバーのきょうちゃん、ナビのあやさん、
ありがとうございました。
アムトラックやルート66のドライブ。
途中に寄ったスーパーマーケットやガソリンスタンドも楽しい体験。
ガソリンスタンドでは、ホットドッグや珈琲が充実。
ホピやズニのところでも見かけたトウモロコシの粉。
ギャラップの街のスーパーにも大量に売っていました。
久しぶりのビバリーヒルズから
駅やホテルの雰囲気あるインテリア、
アメリカ中西部ののんびりした街、
荒野の風景、
予想よりヘルシーで美味しかったアメリカ料理などなど。
ホピやズニの居留地以外の地域も新鮮でした。
毎日毎日、ぎっしりといろいろな体験が詰め込まれた、
それは濃い9日間の旅でした。
とてもお世話になった旅の仲間の皆さん、ありがとうございました。
今回参加したホピツアーは、オフィスTENさんの企画です。
ポピの精霊人形カチーナを扱うお店Sun & RainのHPに、
ホピ族のことなど詳しい記事があります。
ホピについて
充実の企画に感謝しています!
ポピツアー旅日記、長くなりましたが読んでいただいてありがとうございます。
この旅の体験を、日常生活や仕事の端々まで活かしていきたいと思います。
全ての瞬間に喜びと感謝を感じます。
2017年7/1~9日に参加したホピツアーの旅日記その6です。
旅行も終盤。サンタフェでの自由散策を楽しみ、いよいよ帰途です。
サンタフェには、20世紀のアメリカを代表する女流画家、
ジョージア・オキーフ(1887-1986)の美術館があります。
フォトジェニックな風貌とカリスマ性から雑誌などにとりあげられる事も多く、
私も、既に知っているような先入観があって、
美術館は後回しになり、入館しませんでした。
しかしながら、自由散策中に旅仲間の購入した2枚のポストカードを見て、
オキーフの印象は一変!
一枚は、カチーナを柔らかく描いた絵、
もう一枚はアンディ・ウォーホールと笑顔で並んでいる写真。
モデルのような凛とした表情しか知らなかったけれど、
こんなに柔らかい人だったの?
俄然、興味が湧いてきました。
あまり時間の余裕がない中で、空港とは反対方向へ100㎞ほどいったアビキューにあるオキーフの家に行ってみることになりました。予定外のサプライズ。
途中、美しい川辺の村などを車窓に見て、
なんて素敵なところ!この地を発見したオキーフの喜びが伝わってくるよう。
後で調べてみたところ、
オキーフのアビキューの家は、サンタフェのオキーフミュージアムが管理していて、
数キロ手前のオフィスからバスで出発するツアーが行われているそうです。
予約者のみ参加可能。写真、スケッチも禁止。
美術館のオフィス。この辺りに宿泊施設とショップもあります。
ここも美しい場所でした。ゆっくりお茶したかったけれど、速攻でお買い物する時間しかありませんでした。
ここで、オキーフの家はもう少し先にありますと教えられました。
私にとっては、あの場所を思い出す貴重なお土産。
オキーフのアビキューの家を目指してついた村には看板もなく、
車を降りてあたりをうろうろ。
ちょうど前を通った車が簡単なフェンスを開けて入っていくのを見て、
ついて行ってみると、
運よくスタッフの車で、裏口へ帰ってきたところでした。
予約のない人は、敷地内に入ってはいけなかったのですが、
何も知らなかったので、
裏からお庭を垣間見ることができました。
スタッフの方に、残念ながら掘の外を回るだけにしてください。
中には入れませんと言われ、
名残り惜しくも、引き返しました。
でも、中を見ていたら飛行機に乗り遅れたことでしょう。
すぐ近くのお店には、オキーフのポスターが。
大急ぎで、アルバカーキの空港までドライブし、夜の飛行機でロスアンゼルスへ向かったのでした。
翌朝はロスから成田へ。
時間にしたら30分くらいのオキーフのアビキューの家見学。
それも家の中には入れず、庭と外観を垣間見ただけ。
本来ならそれすらも見られないところだったので、幸運でしたが。
それなのに、大きな印象が残りました。
アビキュー、行ってみて本当に良かった。
60代初めのオキーフに永住を決意させたネイティブの文化の残る美しい土地。
庭で野菜や花を作り、絵を描き、充実した暮らしを楽しんだ家の放つオーラは、
私を引きつけ魅了しました。
ここから受けたインスピレーションは、私の暮らしにも影響を与えてくれそうです。
帰国後、買い求めたオキーフの家の写真集
オキーフの空間創りに魅入られます。
その精神性の高さは、古からの自然と調和した生き方への志向からきているようです。それは日本の文化とも通じるものがあり、
オキーフは若い頃から晩年まで、岡倉天心の「茶の本」を愛読していたそうです。
オキーフ最晩年に看護人を勤めていたパッテンの文章の一部を
以下に引用します。
『オキーフは彼ら(プエブロインディアン)の文明の持つ精神性に引きつけられた。彼らの物の見方と彼らの土地との強いつながりに共感を覚えた。
中略
余分な物のない、あたかも自然の本質に導かれたような古代アナサジ族の様式、その質素さは、オキーフがかつての東洋文化に見出し、彼女自身の目と精神が、つねに引きつけられてきたものだった。初期のプエブロインディアン文化とアジア文化の類似性に、彼女ははっきりと気づいていた。』
〜オキーフの家 より〜
自然と調和した土の家でありながら、
現代の建築技術である3層ガラスで大きな窓を作るなど、
自分が本当に生きていると感じられる暮らしを生きたオキーフ。
まさにその場に立ち、肌で感じたことは深く心に刻まれました。
幸せな暮らしのヒントを与えてくれているように思います。
アドピレンガのピンクがかった土の色、
繰り返し思い出すことでしょう。
その6まで続いた旅日記、あとは大陸横断鉄道のことなどをふりかえって、
次を続けたいと思います。
2017年7/1~9日に参加したホピツアーの旅日記その5です。
タオスプエブロでの1000年以上前からづつくいにしえの暮らしに思いを馳せつつ、
夕暮れのサンタフェに到着。
アメリカの宝石と呼ばれるサンタフェ。言わずと知れた美しい観光都市。
タオスプエブロのアーティストの作品が現地の5倍で売られていることもあるそうです。
サンタフェの市名はスペイン語ではLa Villa Real de la Santa Fé de San Francisco de Asísといい、
日本語では「アッシジのフランチェスコの聖なる信仰に忠実な王都」という意味。
聖フランシス聖堂の前には、アッシジの聖フランチェスコと
ネイティヴネイティヴアメリカンの聖カテリの像があります。
ホテルのレストランでは、地元のフラメンコ教室の発表会。
街の中心プラザでは、バンドの演奏でダンス。
地元の方々も観光客も楽しんでいます。
到着の日は、夕べを過ごすサンタフェの人々の様子と
もう閉店しているお店のおしゃれなウィンドーを覗いて楽しみました。
翌日は、朝から14時頃までサンタフェ散策、自由行動です。
アドベ(伝統的な日干し煉瓦)建築や、それを模した建物で統一された
美しい街並み。随所にアートが溢れ、お店も洗練されています。
夕べ、あちこちのお店ウィーンドーを見て歩いたのにも関わらず、
翌朝はすっかり買い物の意欲はなく、結局古い教会ばかりに足が向くのでした。
1607年にサンタフェはスペイン人によって創設されているけれども、
紀元前1000年頃からインディアンが活動し、
11世紀にはプエブロが定住していた地域。
タオスプエブロのような集合住宅が15世紀には出来ていたのですが、
スペイン人の入植により、カトリックへの改宗がされています。
ネイティブアメリカンとして初めて聖人なった聖カテリは、
カトリックに改宗したことで、部族からは迫害されカナダの教会に逃れています。
宗教的にカトリックの影響を受けていないのは、
ホピだけと聞いたこともあり、
この頃のネイティブアメリカンの置かれた厳しい状況を考えさせられます。
その歴史を思うよすがとなるサンタフェの古い教会を回りました。
サンミゲル教会 1607年頃〜アメリカ最古の教会といわれる 1710年再建
サンミゲル教会内のサンホセの鐘 鳴らしました!
サンミゲル教会は、優しい光を感じるところで、
サンタフェでは一番好きになった場所です。
ルテロ教会。支柱のない奇跡の螺旋階段が有名。
教会見学の間には、美味しいランチとティータイムも欠かせません!
レストランの中庭、赤いパラソルの下でヘルシーランチ。
ショコラでティータイム
最後に、待ち合わせ場所の聖フランシス聖堂に戻ると、結婚式が始まるところでした。
自由行動の後は、一路空港へという予定でしたが、
その前に思わぬところへ。
ジョージア・オキーフのアビキューの家。
この寄り道は素敵なエピソードとなりました。
また次に。
2017年7/1~9日に参加した平和の民ホピを訪ねる旅、その4です。
ズニ族、ホピ族の居留地を後に、
ギャラップの街の1930年代から映画制作の拠点となったホテルで、
古き良きアメリカの雰囲気を味わいつつ一泊。
素敵なホテルでゆっくりするか、
ニューメキシコの1000年以上前から続くネイティブアメリカンの集落を訪ねるか、
二者択一に迷いはなく、翌日は早朝にタオスプレブロへ出発しました。
今回のツアーに参加するまで、「プエブロ」という言葉を知りませんでした。
スペイン語の単語で、「集落」という意味だそうです。
日干し煉瓦のアドビAdobeで、集合住宅を作っていた先住民のことを指します。
タオスプレブロは、最古の団地であり、
今でも生活の場として使われていて、世界遺産となっています。
入り口で入場料を払い、村の中へ。
まずは、ドラムの音と歌声に引き寄せられました。
この家にいたのは、オータム・ディアさん。
この村で生まれたそうです。70代の男性。
すっきりしたクルーカットにTシャツ姿で、ドラムを叩きながら歌っていました。
美しい手作りのドラムが並べられ、写真入りの新聞記事が飾られ、CDも売っていました。
ドラムを叩いてみてもいいよと言われたツアー一行は、やはり只者ではありませんでした。
思いは一つ。一緒に奏でさせてください!
手に手にドラムスティックを持ち、4人で一緒に叩ける大きなドラムを囲んで、
オータム・ディアさんとセッションさせていただいたのでした。
CDも出しているプロには、釣り合わない合奏だったかもしれませんが、
それはそれは、楽しい時間でした。
思い出に、ドラムスティクを一本買いました。サイン入り!
この村には、水道も電気もなく、中央を流れるきれいな小川の水を使っています。
1000年以上前のアドビ煉瓦の建築は、5階建のところも!
梯子が特徴的ですが、元々は、出入り口が天井にあったからのようです。
室内には階段のない造りのようでした。
住んでいる人もいるそうですが、車で通勤している人が多い印象です。
お店をやっているところにはOPENの看板が出ていて、入っても良い建物。
アート、ジュエリー、ドラム、フルート、
家に隣接している大きな釜で焼いているパンやお菓子も売っています。
とても可愛いアクセサリーも発見。
お店番の若い男性に、これは母の作ったジュエリー、
あっちの絵は妹が描いたと説明してもらっているうちに、
作家のご本人たちも登場。人柄の現れた作品が魅力的でした。
それから、嬉しいことに蜂鳥に会うことができました。
私にとっては、喜びの象徴。
いにしえの暮らしを想像させるタオスブエブロが、更に印象深いものとなりました。
昼食に寄ったタオスの街の風景。ここで帽子を調達しました。
ゆったりと美しいタオスから、サンタフェへ。旅は続きます。
2017年7月1日〜9日に参加したホピ族を訪ねる旅の旅日記、その3です。
優しいホピの友人達の地を出発して、ロングドライブ。
アリゾナからニューメキシコを目指します。
アリゾナとニューメキシコの境にある
自治区になっているナバホネイションの首都、ウィンドロック見学。
ナバホの方々が、アクセサリーの露店を出していました。
有名な大陸横断道路ルート66沿いにあるギャラップで一泊。
ここはもうニューメキシコです。
ここでの宿は、映画制作の拠点として1937年にオープンした「エルランチョ」。
往年のハリウッドスターが滞在していたホテルです。
外観も内部も雰囲気があります。
2階の壁一面に、スターの写真とサインが飾られています。
客室の名前も俳優の名前。泊まったお部屋は、「ジミー スチュワート」
レストランの食事のコースにも、スターの名前が付いています。
お料理は、メキシカン! 地ビールがとても良い香りでした。
ホピの世界と全く違うハリウッドスターの世界。
こちらは、古き良きアメリカを感じさせる素敵なインテリアと
芳醇なビール付きの美味しいディナー。
私はこのホテルのロビーのウィンドーに飾られていた
ズニのジュエリーを一目で気に入り、連れて帰って来ました。
ポピのジュエリーとズニのジュエリーは見分けがつくようになっていたので、
ショップの方に、これはズニのでしょう?と確認すると、イエスの返事。
そして、私はナバホ。ナバホの言葉でありがとうは、ラ・シャー(と聞こえた)
と言葉を続けました。
この短い時間のショッピングで感じたこと。
彼女がナバホというアイデンティティに誇りを持っていること
ポビとナバホの言葉は、随分違って響くという感じ
ジュエリーもそれぞれの部族で特徴がはっきりしている
たくさんの部族、それぞれの個性があることを想像させてくれました。
サンフェイスのペンダント。
「幸せのシンボルなので楽しんでね」という言葉とともに、
私の元にやってきました。
街の散歩や、ショッピング、
素敵なホテルのベランダで、夜風に吹かれながらのおしゃべり。
今まで知らなかったアメリカの一面を楽しむ時間でした。
翌朝は早起きして、世界遺産の村タオスプエブロとサンタフェに向かいます。
そのお話は、また次に。
7/1~9日のアリゾナのホピ族を訪ねる旅の旅日記、その2です。
予定外のサプライズで、ズニの雨乞いの儀式を見せていただいた後、
いよいよホピの村へ。
ホピは、メサと呼ばれるテーブル状の台地に住んでいます。
メサは三つありますが、そのうちのセカンドメサにあるホピカルチャーセンターに二泊しました。
ここには、博物館、ホテル、レストラン、ショップがあり、
駐車場には、日替わりでホピのアートを販売する車が来ています。
ズニの村を後にして、ホピの居留地に到着したのは、夜9時頃。
車を降りて、宿の中庭に立つと、周りの空気がとても優しくて気持ち良い。
ずっと、ここでぼーっとしていたいと思いました。
この土地独自の優しさを感じます。
ここに来させていただけて良かったとホッとする気配。
安心と喜びに包まれて深く眠りました。
翌日は、旅の主催者彩さんのホピの友人達を訪問です。
昔ながらの生活を再現する家をセルフビルドで建設中のアキマさん。
普段からホピの伝統的なヘアスタイル。
耳の前までは、おかっぱで、後ろの髪は長く伸ばし、
束ねて折りたたみ、結んでいます。
テキスタイルデザイナーで、来日の経験もある男性です。
ここでは一般的な日干し煉瓦のアドピ建築の広い自宅。
アトリエには、描きかけの絵や、ホピ伝統の機織り機があり、
大型液晶テレビや洗濯機完備です。
コバルトブルーのトラックの荷台(!)に乗せてもらって、夢の建築現場へ。
石を積み上げ中。手作業なので大変!
だいぶ歩いた先に湧き水があり、お水はそこから運ぶそうです。
綿も栽培中。桃畑がありました。
池も掘っているところ、これから馬も飼いたいそうです。
こんな試みを実践している人は、他にはいそうにありません。
アキマさんは、伝統生活を取り戻す先駆者的存在なのかもしれません。
遊びに来た人は、もれなく建築のお手伝いをするらしいのですが、
私達は、石を一つずつ積むだけで勘弁してもらい、
またトラックに乗って、トウモロコシ畑を見学しに行きました。
畑の場所は、秘密なのだそうです。
栽培のできる水脈の通った土地は貴重なのでしょう。
雨が少なく、まだちびっこのトウモロコシが一本一本、
存在感たっぷりに植えられていました。
ホピにとっては、トウモロコシは聖なる作物。
とても大切に育てているのが、畑から感じられました。
サンクラン(太陽族)の長であるサンクランマザーのお宅訪問。
お宅の前は、村の中心のプラザ。
この建物の屋根では、鷲が飼われていました。
羽を儀式に使うそうで、雛の時から人間の子供と同じように、
大事に育てるそうです。
サンクランマザーのお話。
少し前に、親戚の女の子達の儀式があったそうです。
初潮を迎えた女の子達は、蝶々の形に髪を結い、
四日間電気もつけない部屋の中で、
伝統のパン作りなどの作業を教わるそうです。
そんなお話をうかがった後、お別れのハグをしたら、
なぜか親近感がどっと湧いて来て、
そのあとの立ち話が長くなりました。
グランマもご主人も、とてもとても暖かい方です。
ジュエリー作家のジェロさんの工房。
ジェロさんは、ホピジュエリーを代表する作家で、
世界各国に招かれたり、伝統の工法を伝える重鎮。
ポピショーでは講演もされていました。
奥様も娘さんもジュエリー作家です。
オーバーレイと呼ばれるポピジュエリー独特の工法で、
伝統的な意味のある文様が彫られています。
作家によって使用が許可されている文様があるようで、
チェーンを専門に作る奥様が使っている稲妻の模様は、
お祖父様から受け継いだとのこと。
デザイン性の高い、素敵なチェーンでした。
工房においてある設備を見ながら、
作品作りの工程を説明していただいきました。
作りたての素晴らしい作品を購入した方もいました。
ジェロさんの工房ではカードで購入ができました。
夕食は、ポピカルチャーセンターで働いているバレンシアさん宅で、
手作り料理をご馳走になりました。
このお宅は作家一家で、カチーナ人形や陶器を作っています。
メキシコ風のチリコンカーン、トルティーヤ、サラダ、ホピティー、
嬉しいスイカなどなど。
とても美味しい食事!
料理を作ったバレンシアさんに用事があったため、
お母さんのロアナさんがもてなしてくださいました。
ロアナさんは、外国人相手のガイドやワークショップの講師、
来日の経験もあり、サービス精神たっぷり。
陶芸の土は、何代にも渡り受け継がれているということや
パンを焼いたり儀式の準備でホピは本当に忙しいと
ユーモアたっぷりに語り、
食事の前には、ホピのお祈りもしてくださいました。
夕暮れ時には、メサの端の素敵な場所へ。
メサはテーブル状なので、
端まで行くと足元に山と谷が広がり、
心地よい風が吹き上げて来ます。
オレンジ色を帯びた光がその風景を照らし、
なんて美しい。
ここで各々好きな場所で過ごす時間は宝物でした。
ホテルに帰って、
夕食を作ってくれたバレンシアさんにもお会いできました。
若いけれど、揺るぎなさを感じさせるハンサムウーマンです。
みんなでお茶をしてから、髪を洗って、就寝。
この辺りの水は硬水で、ぬるぬるしていますが、
肌や髪にはとても良く、髪がしっとりとしてネイティブ風になってきました。
そして、ぐっすり眠れます。
翌朝は、瞑想にぴったりなメサの端を再訪。
瞑想したり、ボディーワークの鈴舞をしていたら、
あっという間に1時間が経っていて、朝ごはんの時間にぎりぎり。
天に開く良い時を持てたことに感謝です。
ホピカルチャーセンターにある博物館やお店は、
営業時間が決まっておらず、その日の担当者の都合次第。
のんびりしています。
レストランに食事に来たホピの皆さんも、
気軽に話しかけてくれます。
朝食後、いつもクローズの札のかかっていた博物館に、やっと入館できました。
ここには、〜族と言われて想像するような風俗が展示されています。
古い写真も見られて、歴史を感じました。
ホピの友人訪問、最後はアーヴィンさん宅。
お宅で少しお話しした後、
特別な場所に連れて行っていただきました。
鼻炎気味で不調なはずの私の鼻に
言いようのない妙なる香りが漂い、
懐かしい思いがして来ました。
乾燥した土に水を撒きたくて仕方がなくなり、
岩は金色の光を発しているように見えました。
その場所に立ってみるまではわかりませんが、
旅先では、こんな心惹かれる場所に出会うことがあります。
魂に触れるような場所。
私をここへ連れて来てくださったご縁に、心から感謝し、
聖なる白いとうもろこしの粉を撒いて祈りを捧げました。
アーヴィンさんを囲んで、ホピセンターでランチ。
儀式の時に食べられるという白とうもろこしとラムの煮込みや
ブルーコーンのパンケーキを使ったハンバーガーなどを皆で楽しみ、
去りがたいホピの地を後にしました。
ホピの居留地でも許可がない限り、写真禁止なので、
カメラは持ち歩きませんでした。
その分、頭の中の映像は鮮明です。
ホピで出会ったものの数々
スーパーで売っていた儀式の時に足につける鈴 デイビッドさんのメディスン
デイビットさんは、アリゾナ大学で教えたり、ポピの子供達に薬草の知識を伝承する活動をしているメディスンマンです。
ジェロさん作のペンダントトップ 若い女性アーティストから購入した作品
ポピの創るものは、お土産物としてではなく、アートとして扱われています。
伝統的な文様を施された作品は、洗練と深みを感じさせます。
ポピカルチャーセンターのパーキングは、誰でもお店を出して良いらしく、
アーティスト本人が、気の向いた時間にお店を出しています。
私は、30代の女性からホピの癒しの手を描いた陶片を購入。
模様の意味を一つ一つ説明してくれたのですが、聞き取りきれず憶えきれず。
でも、彼女の「タスクアリ」という声は耳に残っています。
自宅の玄関に飾りました。
旅はまだ続きます。またこの次に。
今宵は、旧暦水無月の新月。
そして大暑でもありました。
いかがお過ごしですか。
私は、生命の木と言われるモリンガのリーフティーと
メキシコジャングル自然栽培のカカオ豆で一服。
スーパーフードで、夏バテ対策中です。
前回の満月の日に
ネイティブアメリカンの平和を祈る民、
ポピ族を訪ねる9日間の旅より帰ってきました。
月が欠けてゆく期間は、
疲れを癒し経験を消化する時間でしたが、
今晩の新月より、
旅の成果をアウトプットしていきたいと思っています。
全く知らなかったコロンブス以前の
ネイティブアメリカンの歴史や文化。
その土地の風景を眺め、空気を呼吸し、
住んでいる方々と交流して、
感じるものが多くありました。
普通の観光で出来ない貴重な出会いや体験の数々、
HPにも旅日記として、掲載していきます。
お時間のある時にご覧くださいね。
まだまだ暑い夏が続きますが、
銀の鈴では、素敵なイベントが予定されています。
6月に素晴らしいコンサートをしてくれた
セレンディピティ・ユニのお二人が、
8月には、それぞれ別のユニットで演奏します。
笛奏者の福井幹さんは、アイリッシュハープの小川由美子さんと。
サントゥールのジミー宮下さんは、インドから来日するタブラ奏者アリンダムさんと。
上質な響、ぜひ聴きにいらして下さいね。
楽しい美運メイクの会も開催します。
夏本番。
新しいサイクルも、月のパワーを味方に輝いてお過ごし下さい。
夏バテ対策もお忘れなく、お身体大切に。
いつかポピ族に会ってみたいな。
漠然と考えていたことが、ある日現実になりました。
平和を祈る民ホピの精霊人形「カチーナ」のお店に足を踏み入れたことから。
ここを経営するオフィスTENさんは、ホピ族と30年来の親交があり、
この夏もアリゾナ州のホピツアー参加者を募集していたのです。
現地に行ってみて、コロンブスが発見する以前のアメリカ大陸のこと、
ネイティブアメリカンの文化や歴史について、
何も知らなかったと、改めて思いました。
数百部族、数十万のネイティブ・アメリカンが暮らしていたそうです。
そんなに多くの部族があるとは全く知りませんでしたが、
そのうちの 今を生きるズニ族、ポピ族の方々のお宅を訪問して、
食事をご馳走になったり、儀式を見せていただいたり、お話できたことは、
貴重な体験となりました。
居留地は写真もスケッチも禁止なのですが、
北アリゾナ博物館で行われていたポピショーでは、写真も撮ることが出来ました。
皆さん、普段はこのような儀式用の衣装ではなく、
スポーツブランドやジーンズなど普通の服装。
アートが生活に根付いているので、センスも素敵な方が多かったです。
ホピショーでのスナップ
ブルーコーンの粉で作ったスナックを 編み込みが可愛い
最初に訪ねたズニ族のお宅では、フライドチキンとサラダなどをご馳走になりました。
トイレもお借りしましたが、ここでは水がとても高価だそうです。
予定になかった雨乞いの儀式を見学することが出来ました。
精霊カチーナとなった男性が数十人、村の中心のプラザの中庭で踊ります。
建物は屋根の上に上がれる作りとなっていて、
ズニの皆さんと一緒に見学。日差しが強いので、
お祖母様達は、佳境に入った頃、遅れて見学に見えましたが、
子供達が手を取ったり、椅子を用意したりして、
尊敬と愛情をたっぷり示していたことが印象的でした。
建物と同じ材質の土で作ったカマクラのような釜で
伝統的なパンを焼くところも見せていただきました。
ヒバの枝を束ねて簡単な箒を作り、水も使って
釜の中を丹念に綺麗にし、温度を冷ます作業だけでも、
手間のかかる作業。
面倒臭がり屋さんにはとても無理そうです。
素朴な味わいのあるパンは翌日朝食にいただきました。
あの釜で焼かれたと思うだけで、ありがたい。
パンを焼いていたお宅でお会いしたのは、
海軍にいた時には、沖縄にも行ったというおじさん、
座って寛ぐお爺さん、パン焼きに忙しい女性二人、
後から帰ってきた赤ちゃんのママ、
私たちのつけていたアクセサリーに興味津々なチビちゃん。
(将来はジュエリーデザイナーかも。ここでは伝統的な職業です。)
近くのお家で、食事を用意してくれた女性二人も合流。
親戚、家族と結びつきの強い暮らしがうかがえます。
村で唯一のスーパーマーケットを見ると、
食料品は他と同じような品揃えでしたが、
インディアンジュエリーの材料なども売っていたのが特有でした。
村の大事な産業なんですね。
私は、シングルなのに、トリプルサイズはあるミントチョコアイスを注文。
楽しんでねと、ズニの皆さん、気さくに優しく声をかけてくれます。
強い日差しに焼かれながらも、充実のズニ訪問でした。
夜までにホピの居留地にある宿泊施設ホピカルチャーセンターへと向かいます。
続きは、またこの次に。
ギャラップの街のホテルで見つけたズニ族のペンダント サンフェイス