2017年7/1~9日に参加したホピツアーの旅日記その6です。
旅行も終盤。サンタフェでの自由散策を楽しみ、いよいよ帰途です。
サンタフェには、20世紀のアメリカを代表する女流画家、
ジョージア・オキーフ(1887-1986)の美術館があります。
フォトジェニックな風貌とカリスマ性から雑誌などにとりあげられる事も多く、
私も、既に知っているような先入観があって、
美術館は後回しになり、入館しませんでした。
しかしながら、自由散策中に旅仲間の購入した2枚のポストカードを見て、
オキーフの印象は一変!
一枚は、カチーナを柔らかく描いた絵、
もう一枚はアンディ・ウォーホールと笑顔で並んでいる写真。
モデルのような凛とした表情しか知らなかったけれど、
こんなに柔らかい人だったの?
俄然、興味が湧いてきました。
あまり時間の余裕がない中で、空港とは反対方向へ100㎞ほどいったアビキューにあるオキーフの家に行ってみることになりました。予定外のサプライズ。
途中、美しい川辺の村などを車窓に見て、
なんて素敵なところ!この地を発見したオキーフの喜びが伝わってくるよう。
後で調べてみたところ、
オキーフのアビキューの家は、サンタフェのオキーフミュージアムが管理していて、
数キロ手前のオフィスからバスで出発するツアーが行われているそうです。
予約者のみ参加可能。写真、スケッチも禁止。
美術館のオフィス。この辺りに宿泊施設とショップもあります。
ここも美しい場所でした。ゆっくりお茶したかったけれど、速攻でお買い物する時間しかありませんでした。
ここで、オキーフの家はもう少し先にありますと教えられました。
私にとっては、あの場所を思い出す貴重なお土産。
オキーフのアビキューの家を目指してついた村には看板もなく、
車を降りてあたりをうろうろ。
ちょうど前を通った車が簡単なフェンスを開けて入っていくのを見て、
ついて行ってみると、
運よくスタッフの車で、裏口へ帰ってきたところでした。
予約のない人は、敷地内に入ってはいけなかったのですが、
何も知らなかったので、
裏からお庭を垣間見ることができました。
スタッフの方に、残念ながら掘の外を回るだけにしてください。
中には入れませんと言われ、
名残り惜しくも、引き返しました。
でも、中を見ていたら飛行機に乗り遅れたことでしょう。
すぐ近くのお店には、オキーフのポスターが。
大急ぎで、アルバカーキの空港までドライブし、夜の飛行機でロスアンゼルスへ向かったのでした。
翌朝はロスから成田へ。
時間にしたら30分くらいのオキーフのアビキューの家見学。
それも家の中には入れず、庭と外観を垣間見ただけ。
本来ならそれすらも見られないところだったので、幸運でしたが。
それなのに、大きな印象が残りました。
アビキュー、行ってみて本当に良かった。
60代初めのオキーフに永住を決意させたネイティブの文化の残る美しい土地。
庭で野菜や花を作り、絵を描き、充実した暮らしを楽しんだ家の放つオーラは、
私を引きつけ魅了しました。
ここから受けたインスピレーションは、私の暮らしにも影響を与えてくれそうです。
帰国後、買い求めたオキーフの家の写真集
オキーフの空間創りに魅入られます。
その精神性の高さは、古からの自然と調和した生き方への志向からきているようです。それは日本の文化とも通じるものがあり、
オキーフは若い頃から晩年まで、岡倉天心の「茶の本」を愛読していたそうです。
オキーフ最晩年に看護人を勤めていたパッテンの文章の一部を
以下に引用します。
『オキーフは彼ら(プエブロインディアン)の文明の持つ精神性に引きつけられた。彼らの物の見方と彼らの土地との強いつながりに共感を覚えた。
中略
余分な物のない、あたかも自然の本質に導かれたような古代アナサジ族の様式、その質素さは、オキーフがかつての東洋文化に見出し、彼女自身の目と精神が、つねに引きつけられてきたものだった。初期のプエブロインディアン文化とアジア文化の類似性に、彼女ははっきりと気づいていた。』
〜オキーフの家 より〜
自然と調和した土の家でありながら、
現代の建築技術である3層ガラスで大きな窓を作るなど、
自分が本当に生きていると感じられる暮らしを生きたオキーフ。
まさにその場に立ち、肌で感じたことは深く心に刻まれました。
幸せな暮らしのヒントを与えてくれているように思います。
アドピレンガのピンクがかった土の色、
繰り返し思い出すことでしょう。
その6まで続いた旅日記、あとは大陸横断鉄道のことなどをふりかえって、
次を続けたいと思います。